二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」(ルカの福音書 24章32節)
(ルカの福音書 24章21〜32節より)
暗い顔をしてエマオに向かっていた二人の弟子に、一人の男が近づき共に歩き始めた。それがイエス様とは知らずに二人は、イスラエルの圧制から民を開放してくれる指導者として尊敬していた方が十字架で殺されたことの無念さ、また、墓は空だったと話した女の弟子たちの話に混乱てしいることなどを話す。
そんな彼らにイエス様は、聖書全体がキリストについて証ししていることを話して聞かせる。二人はイエス様に一緒に泊まるように強く願い、食事を共にした。イエス様がパンを裂き彼らに分け与えた時、彼らの目が開かれ、それがイエス様であることがわかった。その途端イエス様は姿を消して見えなくなるが、彼らは自分たちの心が内で燃えていたことに気づく。目が開かれた二人が、かつて、ご自分はよみがえると語ったイエス様のことばを思い出し、イエス様こそがまことの神であることがわかった瞬間であった。その時の彼らの顔は、輝いていたに違いない。
聖なる飢え渇きをもってキリストを交わりの中に身を置き、共にみことばを聞くときに、私たちの心は燃やされ、そして成長していく。それが神の家族である教会の姿なのである。