キリストはすべての支配と権威のかしらです。
(コロサイ人への手紙 2章 10節)
(ヨハネ19章6-11節より)
ユダヤ人たちに捕らえられたイエス様のことで、総督ピラトは苦悶していた。イエス様のうちに何の罪も見いだせないばかりか、普通の人間とは明らかに違う神がかったものを感じていた彼は、イエス様に死刑判決を下すことは、自分の良心にも反するばかりか、災厄に見舞われるのではないかと恐れていたのである。
彼の妻もイエス様のことで夢にうなされ、あの男には関わらないようにと願っていた。しかし群衆は「イエスを十字架につけろ」とわめきたて収まりがつかない。ピラトは何か打開策を見出そうと、「私にはお前を死刑にする権威も生かしておく権威もある」とイエス様に迫る。そんなピラトにイエス様は、神の御子であるゆえ、神の権威のみしか自分をどうすることもできないと返答する。それは、「父なる神は、おまえのたましいもからだも滅ぼすことができる方なのだ。どうしてこの方以上にお前は人を恐れているのか!」というピラトへの最後のメッセージであったかもしれない。
まことの神を知る私たちは、本当に目指すべきところは、天の御国に入るべく、人の声やこの世の権威に惑わされることなく、本当に聞くべき神の声、本当に従うべき神の権威に従って歩んでいきたい。