あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
(ローマ人への手紙 12章 1節)
(創世記28章1-9節より)
イサクは息子ヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない」と、一族の信仰を純粋に保っていくことを彼に命じた。神のことばを無視してエサウに祝福を継がせようとしたことによって家庭に亀裂を生じさせてしまったこと、またエサウがその土地の異教徒の女性と結婚したことによるトラブルが反省材料ともなったのであろう。一方エサウは父からの祝福とともにその愛を失ったと考えたのか、父の機嫌を取るためにアブラハムが女奴隷に産ませたイシュマエルの娘と結婚する。イシュマエルという名は「神は聞いてくださる」の意。神は私たちの嘆き、悲しみの声を聞いてくださる。私たち人間の行為ではなくて、私たちのありのままを神の前に差し出すときに、それが最も神に喜ばれる供え物となる。それを神がきよめてふさわしく整えてくださる。イサクの家庭同様、私たちも、神の前にいろいろな過ちを繰り返しながら信仰を学び、神の恵みと憐れみを深く知っていく。それが信仰の歩みだといえる。