ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
(ヤコブの手紙 1章 21節)
(ガラテヤ人への手紙5章7-10節より)
パウロは、自らの宣教によって回心したガラテヤ教会の信徒を「よく走っていた」(7)と、その熱心さを称えているが、彼らが真理に従わないように邪魔をした者があったことに対し、憤りをあらわにしている。
いつの世もキリスト者の足元を救おうとする者があるが、その背後には悪魔、サタンという霊的な存在の力がある。サタンは何とか神のことばから私たちの目を逸らそうとするが、「わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませる」(9)と、わずかでも不純な教えを許すならば、個人の信仰生活も、教会も倒れてしまう危険性がある。マラソン競技においていくら一生懸命走ってもコースを間違えたら失格となるように、イエス・キリストとその言葉からはずれていくのなら、その者は天国に行くことはできない。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」(ペテロの手紙第一 2章 2節)とあるように、私たちはいつも純粋なみことばの糧によってまっすぐに成長し、御国にゴールインすることを求めていきたい。