しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。(イザヤ書 40章 31節)
(詩篇33篇16〜22節より)
一刻の王であるダビデは、「王は軍勢の大きさでは救われない」(16)と、いくら軍事力を強固にしても、絶対的な頼りにはならない不安を神に吐露している。神の前に弱さをさらけ出している姿は、私たちに信仰者のあり方を教えている。神の前にありのままの自分を正直に見せてこそ、そこに神の御手が働かれる。そしてダビデは、どんな時にも神様の目は確かに「主を恐れる者」「主の恵みを待ち望む者」に(18)注がれていること、そのたましいを救い出してくださることを確信している。だから「私たちのたましいは主を待ち望む」(20)。信仰とは主を待ち望むことである。主を待ち望みつつ、天を目指してこの地上を歩む、それが私たちの信仰の歩みなのである。