ふさわしい者として
そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。
神はその保証として御霊を下さいました。
(コリント人への手紙第二 5章 5節)
(創世記27章 14-24節より)
イサクが自らの生涯の最後を悟り、双子の息子の兄のほうのエサウに神の祝福を相続しようとするが、妻リベカは弟のほうのヤコブに奪い取らせようと画策し、ヤコブにエサウの変装をさせる。ほとんど目が見えなくなっていたイサクは、部屋に入ってきたのがエサウであることを確かめるためにヤコブに触るが、毛皮を巻きつけて毛深いエサウのようにしていたために、ついにだまされてしまう。
「主イエス・キリストを着なさい」(ローマ人への手紙 13章 14節)とあるように、キリストを信じることで、私たちは聖なる神の子どもとしての衣をまとう。神は私たちを子どもとして迎え、財産を相続なさる。
そしてこの衣は、「栄光から栄光へと、主と同じかたちに」(コリント人への手紙第二 3章 18節)私たちの内面を新しく造り変える衣。ふさわしくない者をふさわしい者へと変えるのが福音の力なのである。