なんと大きいのでしょう。あなたのいつくしみは。あなたを恐れる者のためにあなたはそれを蓄えあなたに身を避ける者のために人の子らの目の前でそれを備えられました。(詩篇31篇19節)
敵から嘲りやさげすみの言葉を浴びて悔しい思いの中にあるダビデだが、「復讐と報復はわたしのもの」(申命記 32章 35節)とあるように、敵と同じ土俵には上がらずに、彼はその思いを神に吐露している。敵国が何よりも恐れていたのは、イスラエルの軍事力よりもダビデが信じている神の御力ではなかったのではないだろうか。敵に四方を取り囲まれていても天は空いている。そこに神の臨在を見ることができる。だからダビデは「私の頭は私を取り囲む敵の上に高く上げられる」(詩篇 27篇 6節)と神をほめ称えている。
「主はわが巌 わが砦わ が救い主 身を避けるわが岩わが神。わが盾わが救いの角わがやぐら」(詩篇 18篇 2節)。主こそが私たちを守る堅固なるお方。この神という砦には、神のあふれるほどのいつくしみが蓄えられ備えられている。だから何があっても私たちは、主にあって満ち足りていることができ、雄々しく心を強く保つことができるのだ。