私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
(コリント人への手紙第二 3章18節)
(コリント人への手紙 第一15章42-49節より)
「死者の復活などあり得ない」と説く者たちによって混乱したコリント教会に対しパウロは、もしキリストがよみがえらなかったとしたら信仰は空しく、キリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえったと語る。
パウロは、アダムの子孫として生まれた者は血肉に属し、土で造られた人のかたちを持ったままだが、「第二のアダム」であるキリストを信じる者は、天に属する方(キリスト)のかたちも持ち、御霊に属するからだによみがえらされると説く。人は神に似せて造られたのに、罪を犯しそのかたちを損ねたのだが、御霊によって再創造がもたらされるのだ。御霊によって私たちは主の栄光を輝かせ、主と同じかたちに姿を変えられていくとは何と驚くべきことであろう。土くれで作られた私たちのうちに御霊が宿っているならば、計り知れない神のみわざがなされ、そこに神の栄光があらわされる。