イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
(マタイの福音書 16章 15節)
(使徒の働き 21章27-40節より)
宣教旅行からエルサレムに戻ってきたパウロを出迎えたのは、ユダヤ人による迫害であった。彼らはいわれのないデマを流し群衆を扇動し、パウロを捕らえ殺そうとしていたのである。パウロを取り囲み糾弾する群衆によって街中が大騒ぎになったが、暴動の知らせを受けた千人隊長が現場に出向きパウロの身柄を確保する。パウロは、自分はれっきとしたローマ市民であることを明かし弁明の機会を求めると、千人隊長はそれを許可する。
キリストは、「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです」(マタイの福音書 5章 11節)と、迫害の中にあるクリスチャンを励ましてくださっている。迫害はクリスチャンであることの証明のようなものだと言われることがあるが、天での報いが大きいことが主によって語られている。千人隊長はパウロに何者なのかと訪ねたが、キリストは、「あなたはわたしをだれだと言うのか」と、神の前に私たちが自分の言葉で信仰告白をすることを迫っておられる。そして世の人々が私たちのうちに生きるキリストを見ることがあるならば、それこそが私たちの証しとなっていくのである。