しかし聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人たちに与えられるためでした。(ガラテヤ人への手紙 3章22節)(ガラテヤ人への手紙 3章18-22節より)
パウロは、「相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです」(18)と、神様が父祖アブラハムに語られた人類への祝福は、律法を守ることによってではなく、信仰によって相続するということを明言する。これは神様の「約束」であり、変わることはない。そして律法は「違反を示すためにつけ加えられたもの」(19)であり、律法と真正面から向き合うことで人は自らの罪深さを知り、キリストにすがるより他に救いの道がないことを悟ることができる。「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」(ローマ人への手紙 5章 20)。私たちの罪がどんなに深くても、どんなに汚れていても、キリストの恵みはさらに深く広く大きい。主を信じる者には、消えることのない「イエスの焼き印」(ガラテヤ人への手紙 6章 17節)が押されている。この変わることのない約束の恵みに感謝して歩んでいきたい。