主イエスの名のためなら
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。
(ピリピ人への手紙 1章 21節)
(使徒の働き 21章1-14節より)
第3次宣教旅行を終えて、パウロ一行は帰途についていたが、エルサレムでパウロに起こる悲劇を御霊によって知った者たちが、エルサレムには行かないようにと説得を試みる。しかし、そんな彼らに対して「私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています」(13)ときっぱりと言い放ち、エルサレムへと向かっていく。
「私の願いは……生きるにしても死ぬにしても、私の身によってキリストがあがめられることです(ピリピ人への手紙 1章 20節)」ということばのとおりに、このパウロの宣教によって、現代においても多くの人が神様を知ることができている。パウロのように、自分のいのちよりもキリストのみ旨を第一として歩む人生を送ることができたら何と幸いなことであろうか。