神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
(ユダの手紙 1章 21節)
(創世記26章 12-22節より)
主の祝福によってイサクが栄えていくことに嫉妬したペリシテ人は、イサクがこの土地から出ていくようにと、イサクの井戸をすべて埋めてしまうという暴挙に出た。生活の基盤を破壊されたイサクだが、彼らと争うことはせずに別の場所に移住し新たに井戸を掘るのだが、そこでも争いをしかけられ、イサクはそれらの場所を「争いの井戸」「敵意の井戸」などと名付ける。これはイサクが、すべての出来事の上に神の目があり、御手が働かれることを確信していたからこそ、主のみわざを数えるようにマイナスだと思える出来事もあえて覚えておこうとしたのではないだろうか。
やがてイサクは、またそこから移って、もう一つの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテ(広い所)と呼び、神の導きを感謝する。
神は私たちを広いところ、祝福の場所に導かれる。そして誰にも奪われることのないいのちの泉であるイエス様がともにいてくださる。この世の諍いに翻弄されることなく、神様の導きに身をゆだねていきたい。