あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい。(使徒の働き20章28節)
(使徒の働き 20章より)
パウロはアジアの諸教会の代表たちを呼んで、最後のメッセージを語った。「私の顔を、あなたがたはだれも二度と見ることがないでしょう」(25)という言葉は、迫害ゆえに自分の生命はもう長くないことを悟っていたことを伺わせる。「私は、だれの血に対しても責任がありません」(26)と、神からの宣教の使命においてはすべてやるべきことをやりきったと語れることはなんと幸いなことだろうか。
そして、「あなたがたは自分自身と群れの全体に気を配りなさい」(28)と、教会を個人から全体に至るまでケアをするようにと命じる。教会の健全な成長のためには、常に聖書から教えられていくことが必須となる。コリント教会やガラテヤ教会が問題を起こしたように、サタンは吼えたける獅子のように教会を狙っているので、(ペテロの手紙第一 5章 8節)、いつも霊的に「目を覚ましていなさい」(31)と注意を促している。
私たちは神に買い取られ、神のものとなった神の教会である。教会が霊的に健全に成長していくように気を配っていくこと、それがキリストのからだである教会を愛していくということなのである。