私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。(使徒の働き 20章24節)
パウロは、宣教旅行を終えて、エルサレム教会への帰途を急いでいた。しかしかつて自分が開拓した教会があるアジアを素通りすることはできずに、諸教会の代表を呼んで最後の説教を語り、宣教をわざを彼らに託している。
「私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます」(22)と表現しているが、パウロは、行く先々で迫害に遭い苦難があることが御霊によって示されていても、御霊に迫られるようにして神からの使命を遂行していくのだと語る。パウロは「神の恵みの福音を証しする任務」こそが「自分の走るべき道のり」であると確信していた。
私たちの「走るべき道のり」において、神が重荷を負ってくださり、神が背負って運んでくださり、神が力を与えてくださる。だから私たちは「走っても力衰えず、歩いても疲れない」(イザヤ書 40章 31節)のである。
御霊が私たちの心をノックするようにして、なすべき使命に気づかせてくださるとき、神のみこころがなるように、この器を差し出していきたい。