神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。
(コリント人への手紙第二 1章 22節)
(ヨハネの福音書15章より)
キリストは、「もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。けれども今では、彼らの罪について弁解の余地はありません」と語る。キリストがこの世に来て、人として生まれ、全国を聖書の真理を語って巡り、病人を癒やし、弱者の味方になり、そして十字架で全人類の罪を贖うために十字架にかかり神の呪いを受け、贖いのわざを完成された。ここに神の愛と義が現されている。このキリストの姿・みわざこそが、神のことばであり啓示である。このキリストを見て福音を聞きながら、なおも神を否定しキリストを信じない者は、永遠の滅びを免れることができず、弁解の余地はない。
しかし、キリストを信じる者は「約束の聖霊によって証印を押され」(エペソ人への手紙 1章 13節)、この証印は決して消えることがない。そして、「助け主、すなわち、父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証しして」(26)くださる。主を信じる私たちには御霊が与えられ、内住の御霊から証しが生まれてくる。キリストは私たちを「初めからわたしと一緒にいた」(27)者と呼んでくださるのだ。