私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。(コリント人への手紙第二 4章 7節)
(創世記24章より)
アブラハムに息子イサクの嫁探しを託されたしもべは、パダン・アラムの井戸のところで出会ったよく気の利く行動的な女性に素性を尋ね、彼女がアブラハムの親類であることがわかると、そこにひれ伏し神を崇めた。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は、私の主人に対する恵みとまことをお捨てになりませんでした。」彼は自分のことよりも、主人アブラハムの願いが叶えられたことを、アブラハムの主である神に感謝している。人類の代表としてアブラハムが神から受けた祝福が後世に紡がれていくために、この名もないしもべは大きく用いられたのである。私たちは主に造られた土の器であり、傷があり欠けだらけのものであるかもしれないが、それさえも神は最善にして用いてくださる。私たちはキリストのしもべとして、祝福を人に届ける器、恵みを取り次ぐ器として用いていただけるように祈っていきたい。