新しい歌を主に歌え。全地よ主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと御救いの良い知らせを告げよ。
(詩篇 96篇 1〜2節)
(詩篇26篇より)
ダビデは、「どうか私のたましいを罪人どもとともに私のいのちを人の血を流す者どもとともに取り去らないでください」(9)と、神に対して切に訴えている。すべての人は神の前に汚れた罪人であり、さばかれて当然のものであるが、ダビデはなおも神の憐れみにすがろうとする。「私を贖い出してください。あわれんでください」(11)という願いは、神が憐れみにより贖いのわざをなしてくださるという確信であり、また主の救いのみわざの予言のことばとなっているとも言える。主の救いを確信したダビデは、「私の足は平らな所に立っています。数々の集いで私は主をほめたたえます」と、主に頼る者の人生は揺るがされないことを感謝する。主に贖われた者は、新しい歌、つまり新しいいのちに生まれ変わった者として、神を賛美する人生を歩む。これが福音の恵みなのである。