わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。(イザヤ書 45章 5節)
(使徒の働き17章より)
アテネでシラスとテモテを待っていたパウロは、「町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた」(16)。著名な哲学者を輩出したアテネは、多神教の町でもあった。宣教には、相手を理解するということが必要であると感じたのか、パウロは彼らと対話をしていく。毎日町中で哲学の議論を交わしていたアテネの人は、それほどに真理を追い求めていたともいえる。パウロの心の憤りは、ただ一人崇められるべきお方、まことの神以外のものが神とされ拝まれていることへの怒りであり、またこれほどまでに真理を求めながら、まことの真理であるキリストを見出すことのできない彼らに対してのもどかしさややるせなさが入り混じったものであり、また、まことの神を知ってほしいという、キリストの霊の熱い思いがそこにはあったことだろう。アテネ同様、偶像で満ちた日本にいる私たちは、どうあるべきだろうか。