神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書 3章 16節)
(創世記22章より)
待望の息子イサクを全焼のいけにえとして献げることを神に命じられたアブラハムは、刃物を取り息子をほふろうとしたときに、主の使いが神のことばを伝える。「その子に手を下してはならない。あなたが神を恐れていることがよく分かった。」(12)「あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす」( 16〜17)と、神に対するアブラハムの愛に応えるようにして、祝福の約束が語られる。
そして神こそが、自分のひとり子キリストを惜しまずに与えるほどに私たち人間を愛してくださった。神に愛され神を愛す、神との愛の関係を豊かに育むことが、私たち人間の本来の営みなのである。