私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
(コリント人への手紙第二 4章 7節)
(コリント人への手紙第一 15章より)
派閥争いで混乱していたコリント教会に対して、パウロは、教会はキリストのからだを形成する各器官として、それぞれが違うものとして神に造られたことを強調する。そしてその器官が互いに連携してからだは健全に成長していく。それぞれの違いは、対立のためではなくて、愛し合うためのものであるのだと、「愛を追い求めなさい」(コリント人への手紙第一 14章 1節)と力説している。
そして、「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」(15:44)と、この世での私たちのからだは、やがて後に来る世での新しい~が与えられるための準備期間であると説く。
神によって土で造られいのちを与えられた人類は、罪を犯して永遠のいのちを放棄してしまった。それでも神はなおも人類を愛して、最高のプレゼントであるキリストという宝を私たちに贈ってくださった。この宝をうちに宿すとき、そこから光が指し、愛が溢れ出てくる。この宝によって私たちはキリストのからだとして成長していく。永遠にこの宝を離すことはない。