私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ人への手紙 2章 20節)
(使徒の働き15章より)
内部分裂し派閥争いが耐えない状態のコリント教会に対し、パウロは自分が教会を開拓した頃のはじめの福音に立ち返るようにと諭す。死者の復活を否定する間違った教えに対しては、バプテスマを例に挙げて「死者が決してよみがえらないのなら、その人たちは、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのですか」(29節)とその矛盾を指摘する。自分に死に、キリストに生きるという信仰の表明がバプテスマ。パウロ自身、「私は日々死んでいる」(31節)「キリストが私のうちに生きておられる」と証しする。罪人としての生まれながらの罪の性質を脱ぎ捨てて新しくキリストを着ること、よみがえりのいのちに生きること、それが、福音の中心なのである。