ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。
(ガラテヤ人への手紙 3章 9節)
(創世記20章より)
アブラハムの嘘によって危うくアビメレクと彼に属する者すべてに災いが及ぶところだったが、アビメレクは彼に償いを求めないばかりか、かえってたくさんの家畜や土地を与えて真実を尽くす。神との交わりのなかでアブラハムが神に選ばれ、神の祝福を全人類に取り次ぐ者であることを受け止めたのであろう。アビメレクのこの態度は、ストレートに責められるよりも鋭くアブラハムの胸に突き刺さったのではないだろうか。アブラハムはアビメレクの祝福を祈り、アビメレク一族からわざわいは過ぎ去り、子宝にも恵まれるようになる。アブラハムにとっては自らの使命を改めて自覚する機会となり、この出来事を通しても彼は霊的に成長していく。
神のことばを真正面から受け止めていくとき、私たちは人を祝福をとりなす器へと成長していく。みことばとどう向き合っていくかが問われている。