立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒の働き9:6)
キリスト教迫害に燃え、ダマスコに向かうサウロ。突然点からの光に照らされ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞く。「あなたはどなたですか」と問うがその答えは、信じられないものであった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」
神を冒涜し、群衆を惑わした者として逮捕し、十字架刑にして殺したはずのイエス。そのイエスが天から語りかけているのだという。イエスの教えを排除して国を邪教から守ることに使命感を持ち尽力してきた彼は、天からイエスの声が聞こえたことで、自らの全存在が否定されたようなショックを受ける。
イエスは加えてこう語る。「 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられる」。
私たちの人生にも神が介入してくださる。聖書を徹し、御霊の助けによって神のことばを聞くことができる。時に、神から思いもよらない示しが与えられることがあるが、人知をはるかに越えた神の知恵、神の導きがそこにはある。それを受け止めていく時に、神の計画がなされていく。
自ら築いてきたものがすべて打ち壊されたようば絶望に陥ったサウロであったが、やがて回心後に、その能力が、伝道に、聖書執筆に有効に用いられた。私たちが絶望するような時、それは神のわざがなされる時なのかもしれない。
目が見えなくなりながらも、ともかく立ち上がって入ったダマスコの町は、もはやイエスを迫害する場所ではなく、神からの新しい使命を受け取る場所と変えられた。私たちもいつも神に触れていたき、新しい生き方を始めることができるよう、神に求め、期待していこう。