あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって神の子どもです。 (ガラテヤ 3:26)
ステパノの説教は続き、モーセの話に移る。
エジプトの王は、エジプト内で強大になっていくイスラエルの民に恐れを抱くようになる。王はイスラエルの民を奴隷状態にして苦役を課し、男子が生まれたら殺すように命じる。この記事は、キリストの誕生を恐れたヘロデが2歳以下の男子を皆殺しにした出来事を彷彿とさせる。そのような時にモーセが生まれる。助産婦はモーセを助けようと、パピルスのかごに入れナイル川に流すが、それを何と王の娘が見つけ、自分の子として育てることにする。そして、王家の最高の教育を受けて、モーセは育っていく。
モーセのパピルスのかごは、ノアの箱船のように、キリストにある救いの予型と見ることができる。赤子のように何もできない者を神は確かな救いに入れていくださる。そして、王家の子として育てられた姿は、神に背き滅びに向かっている者が、救われて神の子としての立場を得るようになる神の救いを表しているかのようだ。私たちがキリストにより、「王の王」とたたえられる神の子となっているとは、何と驚くべきことだろう。そして、すべての権威の上に立つ神が、「求めなさい、そうすれば与えられます」(マタイ7:7)と呼びかけてくださる。 「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださ」るのだ。(エペソ1:3)。その祝福には、神のひとり子が犠牲となることが必要であった。
最高の学問を教え込まれたモーセは、ことばにもわざにも力があったという(22)。王の王なる神の子である私たちは、ステパノのように「恵みと力とに満ちて」(使徒6:8)歩みたい。