一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。(Ⅰコリント12:26)
教会はキリストのからだであり、一人ひとりは各器官であると語るパウロは、私たち人間が見栄えがしない部分を覆ったり飾ったりするように、「神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました」(22)と、人間的な判断で人の価値を図ることなどできないと戒める。
パウロは自身の弱さを痛感していたが、神の力が弱さのうちに完全に現れるから、むしろ大いに喜んで自分の弱さを喜び、誇ると語る(Ⅱコリント12:9)。
私たち一人ひとりの喜びは、キリストのからだの喜びとなる。お互いを認め合い、尊び合い、神様のみわざが表されるように、願っていこう。