夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。{詩篇 30篇 5節}
ラザロが死んで悲しみに暮れるマルタとマリアのところに出向き、「主よ。もしここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」という、責めるかのようなあえて言葉を受け止めるイエス様。「不思議な助言者=ワンダフル・カウンセラー」であるイエス様は、「疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」(マタイ11:28)と私たちを招き、そこで私たちは思いのすべてを吐き出すことが許されている。
そして、イエス様はラザロの死を悼む人々に激して、「涙を流された」(ヨハネ11:35)。イエス様は、私たちに同情し、涙を流してくださり、その涙の夜を喜びの朝へと変えてくださる神。このお方に見えることができる喜びを祝うのが本当のイースターなのである。