この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。(ヨハネ 11:4)
兄弟のラザロが重病に冒されていることを、マリアとマルタは親しくしていたイエス様に知らせる。状況をまるごと神の前に差し出していく時、神がみわざをなしてくださるという信仰がそこにはあったのであろう。イエス様は「だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです」(9)と、私たち人間の人生を照らす光としてこの世に来られたことを語り、「彼を起こしに行きます」と死んでしまったラザロのもとに向かう。
すべてのものにいのちを与え、そのいのちを司るイエス様にとって、死人を生かすことなどはたやすいこと。
神は、私たちが人生に倒れることがあっても起こしてくださるお方。そして、私たちを通して、神の栄光をあらわしてくださるお方なのだ。