またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。(ヨハネの福音書 17:22)
(ヨハネの福音書10章より)
「わたしと父とは一つです」というイエスの言葉を聞いたユダヤ人たちは殺意に燃え、イエスを石打にしようと手に石を持つ。どのわざの故にわたしを石打ちにするのか、という問いに、神を冒涜した罪だと答える。
イエスは「わたしは言った。『おまえたちは神々だ』」という詩篇82篇を引用し、父なるが聖なる者とし、世に遣わしたひとり子を神と等しく語るのは当然であると弁明する。同時に、神々とまで呼ばれた当時の指導者たちの体たらくぶりをユダヤ人の指導者たちと重ねて皮肉を込めて批判しているのである。
イエスは、自身のわざを信じること、それは、父なる神子が一つであることを知ることになると語る。イエスのわざとは、十字架での贖いのみわざを指す。ゲッセマネの園で「あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるため」と祈ったイエスの願いのように、私たちは一つとなることで神の栄光を表すことができる。罪を犯し、神との間にできた壁、人との間にできた溝をイエス様が取り除いてくださるのだ。
これは宮きよめの祭りでの出来事。私たち自身を神の前にきよい宮としてささげていこう。