ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。
(コリント人への手紙 第一11:26)
過ぎ越しの祝いの食事が最後の晩餐となったイエス様。パンを取り、弟子たちに、「これはわたしのからだ」(マタイ26:26)、ぶどう液の杯を取り、「わたしの血」と言ったそのことばの意味を、その直後に逮捕され、十字架で処刑されるイエス様の姿を見て初めて、弟子たちははっきりと知ることができたことであろう。かつてエジプトで神を信じる民の救いのために過ぎ越しの犠牲となった子羊。イエス・キリストがその子羊となり、神を信じるすべての人類の救いとなったのである。
パウロは「主から受けたことを、あなたがたに伝え」(Ⅰコリント11:23)、読者には「あなたがたは…主の死を告げ知らせる」(26)と語る。「主の死」すなわち、その十字架の贖いによってもたらされた「新しい契約」(25)。イエス様の贖いによって与えられる「永遠のいのち」に生き、それを伝える役目が今、私たちに与えられているのである。