私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。
(ホセア 6:3)
イエスに目を癒やされた盲人だった男は、パリサイ人たちの、「あの者(イエス)については、どこから来たのか知らない。」(29)
との言葉に驚く。聖書のことならすべてわかっていると豪語する彼らがイエスのことを知らないはずはないと思ったのである。彼は「一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです」と、淡々と自分に起きた事実を語る。彼の神を知る知識は、頭で知るよりも体験で得たものであった。
どんなに専門知識を持っていても理屈はわかっていても、実際に行わないとスポーツがうまくならないのと同じように、信仰のない聖書知識にはいのちがない。私たちは、ほんとうのいのちに生きる知識を豊かにしていきたい。