あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。(ヨハネ16:22)
(ヨハネの福音書16章より)
イエスはご自身がこの世を去るのは、人々に喜びが満たされるための産みの苦しみなのだと説く。そして、「あなたがたの悲しみは喜びに変わります」(20)と、私たちのこの世での悲しみは、やがて喜びに変わり、その喜びは、誰にも奪い去られるようなものではないという(22)。
「わたしはもう一度あなたがたに会います」(22)というのは、復活したイエスに弟子たちが会う時ばかりでなく、やがて新天新地の創造の時、昇天したイエスが再び地上に現れる時のこととも言える。その時は、パウロが言うように、主と「顔と顔とを合わせて見ることになり」「私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知る」(Ⅰコリント13:12)ことになる。
ダビデは歌う。「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30:5)。イエスの御霊が今、私たちのうちに宿り、その喜びの前味を味わうことができる。このための産みの苦しみを、地上に降り、十字架の死を通して味わってくださったイエス様に心から感謝したい。