その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。(ヨエル 2:29)
(ヨハネの福音書16章より)
イエスは、十字架にかかる前に弟子たちに遺言を遺す。それは、人々に御霊を与えるために、この世を去っていくというものであった。
御霊についてイエスは、「その方(御霊)が来ると、罪について、……世にその誤りを認めさせ」(8)、「御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れ」(13)、「御霊はわたしの栄光を現し」(14)と話す。
この御霊という贈り物を与えるために、イエス様はご自身のいのちという代価を支払ってくださった。犯した大きな罪を悔いたダビデが、「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」(詩篇51:10)と祈ったように、この御霊という贈り物を頂いた今、私たちは「心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着」(エペソ4:23,24)て歩むことができる。
「神が遣わした者を信じること、それが神のわざ」(ヨハネ6:29)なのである。