主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。(詩篇40:3)
御使いから、妻エリサベツに男の子が生まれ、多くのものを神に立ち返らせる役目を負う者となることを告げられる。夫婦とも歳を取っているとして、そのことばを信じられずにいたザカリヤは、話せないようになってしまう。
敬虔な者としての評判を落とし、話せなくなったことで長く続けてきた奉仕からも外れるようになったかもしれないザカリヤは、神と一対一の対話の時を過ごすことになる。神に打たれるような挫折の時を通して、神はザカリヤを取り扱う。この期間、彼は自分の惨めさと同時に神の偉大さを思い知ることになる。
妻が身ごもり、やがて男のことを出産したとき、ザカリヤはその子の名前を御使いのことばどおり「ヨハネ」と名付けることを明示する。「すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた」(ルカ1:64)。彼が再び話せるようになった時に口から出たのは、神への賛美だった。そして、「これらのことの一部始終が、ユダヤの山地全体にも語り伝えられて行った」(65)のである。
神が私たち一人ひとりを取り扱い、私たちの口に賛美を授け、神の栄光を表す者としてくださる。この身をとおして、主のわざが現される。