こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1
律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕らえられたひとりの女を連れて来た。イエスを罠にかけようと、律法にって石打ちの刑にするか尋ねる。彼らは人にいのちを与えるための神の教えと、一人の女性を人を殺すための道具としていたといえる。
いよいよイエスを追い詰めたと思った時、思いもかけない答えが帰ってくる。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)。すると、年長者たちから始めて、ひとりひとりその場を離れ、出て行き、イエスと女がそこに残された。自身を省みた時に、自分の罪を棚に上げて彼女をさばくことができる者はいなかったのである。イエスは女に語りかける。「わたしもあなたを罪に定めない」(11)。
これは神のひとり子である自身がすべての人の罪を背負い十字架で贖いを成し遂げるからこそのことば。贖いのみわざが完全であるからこそ、私たちは罪を後にして新しく歩むことができる。