私はすべてのことを、福音のためにしています。(Ⅰコリント9:23 )
パウロを使徒とは認めず、その行動を制限する態度を見せるコリント教会の人々に、パウロは、働きの実であるあなたがたこそが私が使徒であることの証印であると語る(Ⅰコリント9:1)。
さらに、パウロの生活を支えようとしない教会に対し、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」というモーセの律法を引用し、御霊のものを蒔いたのであれば、物質的なものを刈り取ることは行き過ぎなのか(11)と、非難する。
しかし、そのような不当な扱いにもかかわらず、「私たちはこの権利を用いませんでした。…それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです」(12)と、パウロは福音のためなら、権利を放棄することも厭わなかった。彼は、福音のためになるかならないかを、行動の判断基準としていた。
私たちは福音のために何をし、何を捨てられるだろうか。