イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
(マタイの福音書 16章15,16節)
仮庵の祭りが佳境を迎えた時、イエスは大声で群衆に語る。「わたしのもとに来て飲みなさい」(ヨハネ7:37)「生ける水の川が流れ出るようになる」(38)。
このことばを聞いて、群衆の中には様々な反応が起こった。「あの方は、確かにあの預言者なのだ」「この方はキリストだ」「キリストはガリラヤからは出ないだろう」。イエスを捕らえなかったことで祭司長、律法学者になじられた役人は、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません」と驚嘆している。「議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか」と言ったのはパリサイ人。
いくら聖書に精通しても、頑なな心の状態では、神の子を目の前にしてもメシヤとはわからない。「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます」(詩篇119:130)とあるように、みことばに心照らされた時に、聖書全体が指し示しているキリストを知ることができる。
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(マタイ16:15)というイエスの問いに、ペテロは、「あなたは、生ける神の御子キリストです」と答えた。人が何と言っているかではなく、自分自身がイエスをだれだと言うのか、イエス・キリストは今も私たちに問いかける。イエス様をまことの神と認め、イエス様のもとに行き、神の救いを受けるように、今、神は私たちを招いてくださっている。