あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ46:4)
イザヤ書46章は、バビロンがアッシリアに攻め込まれた時に、偶像の神々を運んで逃げ惑うが、それらが重荷となり足手まといとなり、やがては敵の虜になってしまうことが預言されているところだと言われている。
人間は、目に見える偶像ばかりでなく、目に見えないものをも偶像としてしまうことがある。私たちは偶像というものによくよく注意しならなくてはならない。
神は、「わたしに聞け」(46:3)と言われる。この絶対的なまことの神のことばに聞き従い、人が作り、何もできない偶像からまことの神に立ち返れと主は言われる。私たちを胎内にいる時からにない、生まれる前から運ばれる神は、(3)「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う」(4)と、私たちを生涯にわたって面倒を見てくださると力強く約束してくださる。
偶像は私たちの重荷となるばかりか、サタンの虜へと導く。今、私たちを背負って運んでくださるまことの神に立ち返り、神にすべてを委ねていこう。この神が私たちを救ってくださる。