すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)
(ヨナ書4章より)
預言者ヨナは、神からニネベへの宣教を命じられる。一度は拒否するものの、否応なしにニネベで福音を語ると、人々は神様を信じ、その結果神様はニネベを滅ぼされなかった。悪に染まったニネベが滅びなかったことについて、ヨナは腹を立てていた。
ヨナの不きげんを直そうと、神は一本のとうごまを備える。ヨナはその木陰を非常に喜んだが、とうごまが一夜にして枯れてしまうと、「死んだほうがましだ」と自暴自棄に陥る。そんなヨナに神は声をかける。「あなたは当然のことのように怒るのか」。ヨナは神に「死ぬほど怒るのは当然のこと」と怒りをあわらにする。
「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか」と神は、人間一人一人に対する愛を説き、ヨナを諭す。神の愛は、どんな人にも注がれ、すべての人が神に立ち返って歩むことを望んでおられる。
イエスは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます(マタイ11:28)と、すべての人を招いておられる。
ここに、枯れることのない安らぎ、憩いがある。私たちはいつでもここに重荷を下ろすことができる。「世が与えるのとは違」(ヨハネ14:27).うまことの平安がそこにある。
このキリストの招きに応えることが、私たちの喜びであり、神の喜びでもある。そして私たちも、まことの憩いに人々を招く者となることができる。