わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。(ヨハネ15:11)
「ガザに下る道に出なさい」(使徒8:26)という神のことばに、ピリポは、サマリヤでの宣教においての大成功に浸ることなく、すぐに立って出かけた。そこで、ひとりのエチオピヤ人の宦官に出会うこととなる。「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」という聖霊の声に促され、ピリポは、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と声をかける。宦官は「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と答え、「ほふり場に連れて行かれる羊のように」と表現されているのは、誰のことなのかと、ピリポに尋ねる。
神に対してたましいが飢え渇いているこの宦官にピリポはイエス・キリストを説く。そのことばを受け入れた彼は、水のある場所を見つけ、すぐさまピリポに請い、バプテスマを受けた。そして彼は、「喜びながら帰って行った」(39)。
ピリポがサマリヤで神の言葉を語ったとき、「その町に大きな喜びが起こった」(8)ように、福音は大きな喜びをもたらしていく。エルサレムでイエス・キリストの救いの喜びに与ったピリポは、サマリヤにその喜びを伝え、今、ガザで出会った宦官がその喜びをエチオピヤに持ち帰ろうとしている。
人に喜びを伝えるのが神の思いであり、そのわざが私たちに委ねられている。私たちは遣わされる先々において、「喜びの使者」となることができる。