そこでイエスは彼らに言われた。「わたしの時はまだ来ていません。(ヨハネ 7:6)
盛大な仮庵の祭りが都で行われようとしている時、イエスの兄弟たちは、「今こそ都に行って奇蹟を大勢の人に見せればいいではないか」と、イエスに進言する。ユダヤ人たちに睨まれ、弟子たちからも見放されたイエスを、身内はどんな思いで見ていたのだろうか。しかし、イエスは「わたしの時はまだ来ていません」と、それを断る。ヨハネの福音書の「わたしの時」は、イエスが十字架上で人類の罪を贖う時を指しているが、イエスが地上に来た目的は、まさにそこにあり、イエスは十字架を目指して地上の生涯を歩まれた。
大勢の人の前で驚くようなパフォーマンスを見せれば効果的な宣伝となるだろうが、しかし、イエスがみわざをなすときとイエスの宣教の方法は人間のそれとは違った。人間が考えるチャンスと神の機会とは違うことがある。神は最善のときに最善の方法でみわざをなさるお方なのである。
ヨハネの福音書は、イエスの十字架上での最後の言葉を「完了した」と記している。贖いのみわざの預言が、まさにその時に成就した。この事実をもって、私たちはいつも大胆に贖われたものとして、歩むことができる。サタンのどんな攻撃の言葉にも立ち向かっていくことができる。
そして、私たちの生涯のうちにも、神の時にみわざをなしてくださることを信じ、期待しつつ歩んでいこう。