このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。
(使徒の働き7:37)
ステパノは、モーセのような、究極の預言者ともいえる存在がイエス・キリストであると説く。人々に拒まれたモーセを神は選び、使命を与えた。それと同様、「家を建てる者たちが捨てた石。それが礎の石となった」(Ⅰペテロ2:7)とあるように、キリストは、多くの人から拒まれ軽んじられるが、実は彼こそが、人類が救われ神の国が立て上げられていくための、唯一の土台となった。
モーセが「支配者また解放者として」(35)神からの立てられたように、キリストは私たちを暗闇の支配から自由にし、新しい主人となってくださった。そして、キリストこそが「生けるみことばを」(38)与えてくださるお方なのである。
一方、モーセがシナイ山で神から十戒を授かっている間、ふもとで待ちきれなくなった民は金の子牛を作りそれを拝んでしまうという大きな過ちを犯す。私たちはこの世の、人の手によるきらびやかなものに心を奪われて、まことの神を忘れてはならない。
「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました」(コロサイ人1:13)。私たちの、そしてこの世の「闇」に光を灯すためにキリストは来てくださった。私たちの人生を導くお方、私たちをいつでも自由にしてくださるお方、いのちのことばを与えてくださるお方。このキリストを、待降節(アドベント)のこの時、心にお迎えする準備をしていきたい。