ノアは、主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。 (創世記8:20)
神がノアに箱舟を作るように命じたのが、ノアが500歳の時。600歳の時に洪水が起こり、601歳の時に水が引いたの。神からのことばがあってから、実に長い年月が経って、そのことば通りのことが起こった。
ノアはその間、ひたすら神の言葉を信じ、その通りに行っていった。私たちは、神様に願い事をしてそれがすぐに答えられないと、神様は不親切、神は自分を見捨てている、神はこの状況を理解していない、はたまた、神などいないなどと思ってしまいがちだが、神は、神の最善のときに、最善の方法でみわざをなしてくださる。そのことを信じて、望み、待ち続けるノアの姿勢を学びたい。
1年前に「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい」(7:1)とノアに語りかけた神は、この時も「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい」と命じる。家長であるノアに対して、家族をまとめ、皆一緒に上を見上げて歩むようにとの期待が込められているようだ。信仰者の姿を見た家族が、ともに神を見上げて歩むようになるとしたら、それはなんと素晴らしいことだろうか。「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです」(マタイ12:50)と、私たちは神の家族となっていくことが期待されている。
箱舟から出てきたノアは、「主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、祭壇の上で全焼のいけにえをささげた」(20)。人類の再スタートといえるこの日、ノアはまず、神に礼拝をささげた。神はまさしく真実のお方である、という大きな畏れに包まれたノアは、神の前にひれ伏すことしかできなかった。神を神とし、神を第一としていく生き方を改めて神に表明したのである。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です」(ローマ12:1)とあるように、私たちの存在、いのち、持てるものすべてを神におささげする歩みこそが、神に造られた者の歩みなのだ。