ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。
主が御民の繁栄を元どおりにされるとき、
ヤコブは楽しめ。
イスラエルは喜べ。(詩篇14:7)
神によって造られたにもかかわらず、その神に背を向けて、好き勝手に歩んでいる人間を、詩人は「愚か者」と呼んでいる。人間にとって一番愚かなことは、神を忘れていること。神を離れた人間は、腐ってしまい、忌まわしいことを行う。「主を恐れることは知識のはじめである」(箴言1:8)とあるように、人は神を恐れることなくして、本当の知識、知恵を得ることができない。「彼らはみな、離れて行き、……善を行う者はいない。ひとりもいない」(3)。パウロもローマ人への手紙で引用したこの言葉は、まさに神の嘆きのことば。詩人は彼らを、「不法を行う者ら」とも呼び、「わたしの民を食らい」と、主を愛する人々からむしりとって私腹を肥やし、辱めている彼らの悪事を指摘する。
しかし、いつまでもそれが続くわけではない。「 見よ。彼らが、いかに恐れたかを。
神は、正しい者の一族とともにおられるからだ」(5)。全能であり、絶対的な権威を持っておられる神が正しい者の味方となってくださる。そして、「イスラエルの救いがシオンから来る……主が御民の繁栄を元どおりにされる」(7)とあるように、神がご自分の民を救い、祝福される。聖書の大きなテーマは、人を「元どおりに」回復するということ。神を離れたために、人は神のかたちを損ねてしまった。しかし、神はなおも人を愛し、ひとり子を送り、十字架にかけて人類の罪をあがなうという救いの道を用意なさった。「人の子は、失われた人を捜して救うために来た」(ルカ19:10)のだ。
このキリストによって、私たちは神との関係が元どおりに、やがて神の似姿が元どおりになっていく。「ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ」(7)。主にあって、神の民は、楽しみ、喜ぶことができる! これが福音の力だ。