そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。(ヨハネ 6:11)
イエスが行った数々の奇蹟のうち、唯一4つの福音書すべてに記されているのが、「5千人の給食の奇蹟」。病人たちを癒やしていたしるしを見て、群衆がイエスに押し寄せてくる。「イエスは目を上げて」(5)この群衆をご覧になり、彼らの空腹を心配する。神は私たち一人ひとりを心にかけてくださる。イエスは、ピリポをためして「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」という質問を投げかける。ピリポは、200デナリあったとしても、とうてい全員を満足させることはできないと答え、アンデレは、ある少年が5つのパンと2匹の魚を持っているが、それが何になろうかと答える。しかし、そんな言葉を意に介さず、イエスは全員を座らせ、その少年の差し出したものを分け始めた。すると皆が満腹して、余ったパン切れを集めると12のかごがいっぱいになったという驚くべきことが起こった。
「ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」という言葉は、過越祭での小羊とパンがイエス・キリストの十字架の贖いの予型・雛形であったことを連想させる。神であるイエスは、そのいのちを捨てることで、私たちに永遠のいのちをくださった。イエス自身「わたしがいのちのパンです」(ヨハネ6:35)と語る。そしてイエスは、ひとりの少年の弁当を受け取り、それを大勢に有り余るほどに増やして用いた。
私たちがささげられるものは、ほんの僅かかもしれないが、それを主のもとに差し出すときに、神は祝福し、何倍にもして用いてくださる。この奇蹟のエピソードはお互いをささげ合う神と人との愛の交わり、天の御国の姿が描かれているとも言えるのではないか。神の国がこの地上でもますます広がっていくことを願い、求めていこう。