いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです(Ⅰコリント 2:16)
パウロは、私たちが神の御霊を受けたのは、「恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るため」(12)だと語る。生まれながらにして罪人の人間は、福音を聞いたとしても、受け入れることも信じることもできない。「御霊のことは御霊によってわきまえるものだから」(14) である。それでパウロも、人の知恵のことばではなく「御霊のことば」を用いて福音を語ったのである。「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか」というのはイザヤ書40:13,14を要約して引用したもの。御霊によって、人は、神の絶大なる偉大さを知ることができる。そして、神の前に人はただひれ伏す者であり、神の憐れみがなければ、ひとときも生きられない者であるということをわきまえ知ることができる。「聖霊が臨み、力を受けた」と言って、人は高慢になりやすい。しかし、すべてをわきまえ知ることができ謙遜になることこそ、本当の御霊の働きであると言える。私たちには今、御霊、すなわちキリストの心が与えられている。このの恵みに感謝し、謙遜にならせていただき、ただ神の栄光だけが現されることを願う者でありたい。