しかし 、ノアは 、主の心にかなっていた 。(創世記6:8)
神から離れていくカインの系譜とは別に、アダムの三男セツの流れを神は起こしていく。アダムから数えて10代目にノアが生まれた時、「主がこの地をのろわれたゆえに 、私たちは働き 、この手で苦労しているが 、この私たちに 、この子は慰めを与えてくれるであろう 」(29)、その名には「憩い、慰め」という意味が込められた。そしてノアは、罪に呪われたこの世にまことの救いをもたらすイエス・キリストの到来の予型としての大きな役割を果たしていく。やがて、「主は 、地上に人の悪が増大し 、その心に計ることがみな 、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になり、……心を痛められ 」(6:5,6)、「人を地の面から消し去ろう 」(7)と決断される。しかし、そのような堕落し暴虐に満ちた中にあっても、「ノアは 、主の心にかなっていた 」(8)という。原語では「ノアは主のまなざしの中に恵みを見出した」という表現に近い。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) とあるように、神は、ご自分に反逆する人間を、どこまでも憐れみ、愛するお方。だからこそ、そのひとり子を人のために差し出され、犠牲にされた。滅びとともに、神が用意された救いにあずからせていただき、「主の心にかなった」歩みをしていきたい。