しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と言われたのです。」 (ヨハネ5:11)
安息日にもかかわらず病人をいやしたことで、ユダヤ人はイエスを非難する。「安息日を覚えて 、これを聖なる日とせよ 」(出エジプト2:8)、「そこ(エジプト)から連れ出されたことを覚えていなければならない 。それゆえ 、あなたの神 、主は 、安息日を守るよう 、あなたに命じられた」(申命記5:1)という神の教えから守られて来た安息日だが、「どんな仕事もしてはならない 」(出エジプト2:10)ということばからユダヤ人たちは安息日の労働についての細かな規定を作り、それに違反したものをとがめていたのだ。しかし、イエス・キリストはこれらの形骸化した「人間の教え」「言い伝え」よりも、その教えの中心にある神の心を優先させた。「安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか」 (マルコ:)と。さらにイエスは、「もう罪を犯してはなりません」(14)とこの男に諭し、ユダヤ人に対しては「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」(17)と言い放つ。主は、「 まどろむこともなく、眠ることもな」(詩篇121:4)く、私たちを守っておられるのだ。
安息日に私たちは、神が自分にどう働かれたのかを思い巡らし、イエスの「床を取り上げて歩きなさい」「もう罪を犯してはなりません」ということば通り、この日を新しい歩みを始める日としていこうではないか。