イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」(ヨハネ5:6)
祭りで賑わっているエルサレム。しかし、神殿のすぐそばのベテスダの池の周りには、大勢の病人たちが集まっていた。それは「水が動いた時に真っ先に飛び込んだものが癒やされる」という言い伝えがあったからである。イエスはその中の、38年間病気で伏せっている男に目を留め、「よくなりたいか」と問いかける。男は「この親切な人が自分を池に入れてくれる」と期待したのかもしれない。しかしイエスは、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じると、その男はそれを聞くやいなや床を取り上げて歩き出したのである。
人間の考えと神の方法は違うことがある。「神の時」はいつなのか人には知らされていないが、神のことばには力と権威があり、必ず成る。イエスは「誰も私を助けてくれないから、他の人が先に言ってしまうから」という男の言い訳などには全く意に介さない。神のわざをなさった。
現状でもなんとかやっていけるからと生ぬるい状況を続けるのか、それとも神のわざを受け入れて、新しく変えられることを望むのかと、今、神は私たちに迫られる。「よくなりたいか」という問いかけに、私たちは何と答えるだろうか。