信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。 (使徒の働き4:32)
ペテロとヨハネが釈放され、仲間のところに戻ると、皆は心を一つにして祈り始める。すると一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。彼らは、「心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた」(32)のだという。これは、制度というよりも、愛から自然に生まれ出た行為なのだろう。一つの御霊から生まれた者たちは、人種や立場や個性の違いを超えて一致することができ、一つのキリストのからだを形成するものとなる。そして、そのからだの「各器官」である、それぞれが誰一人困ることがないように、お互いに関心を持つものとなる。そして彼らは、自分が今、所有しているお金や財産は、一時的に神から預かっているものだという認識を持っていたからこそ、惜しむことなく神が望まれる方法でそれらが用いられることに幸福を感じていたのだろう。「すべてを共有にしていた」というのは、持ち物や財産以上に、キリストの心を共有していたと言える。このキリストの心、永遠に朽ちることのないキリストの愛を共有する者として、私たちは「心と思いを一つにして」歩んでいきたい。