人間を、神のことばに背くようそそのかした蛇に対し、神は呪いを宣言する。「一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない」(3:14)とあるように、「蛇」と表現されているサタンは卑しめられ、貶められるという。「おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く」(15)ということばは「原福音」とも呼ばれるもので、サタンに対して勝利するイエス・キリストがここで暗示されていると読むことができる。「わたしはすでに世に勝った」(ヨハネ16・33)と言うイエス・キリストが、私たちをサタンの力から開放してくださり、私たちの人生に勝利をもたらしてくださる。
罪の結果として、女には出産の苦しみ・男への従属、男には労働の苦しみ・死が言い渡される。聖書は、肉体的な死以外に、霊的な死、永遠の死があることを語る。神の息(霊)を吹き込まれて人は生きものとなったが、罪のために神との交わりが絶たれ、霊的に死ぬものとなり、永遠のさばきを受けるものとなってしまった。
神は、「人をエデンの園から追い出された」(23)が、神は人間を見捨ててしまわない。「アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった」とあるのは、人間の罪・恥をおおうために小羊なるイエス・キリストが犠牲になることが暗示されているととらえることができる。私たちの罪の刑罰を神が肩代わりしてくださるという契約は、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は. だれも持っていません」( ヨハネ15・13)とあるように、神の愛の契約。罪深い人間を神はなおも憐れみ、愛してくださる。
「 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は」(詩篇32:1)